第11回:
「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(1997)
監督:トーマス・ヤーン、出演:ティル・シュヴァイガー、ヤン・ヨーゼフ・リーファース他
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彼らに残された時間はあと少し・・・。男のロマンと友情の決定版
余命数日と宣告された末期脳腫瘍のマーティンと、やはり助かりそうにない末期骨腫瘍のルディ。ふたりは検査結果を聞きに訪れた病院で偶然出会う。そこで彼らは医者からお先真っ暗の宣告を受け、そのまま同室に入院。死を目前にしていることを知ったちょっと粗野なマーティンと真面目なルディは、死後の世界について語り合う。「海を見たことがない」というルディに、「天国じゃみんな海の話をするんだぜ」とマーティンは笑う。ふたりは病院を飛び出し”勢い”でベンツを盗み、海を見に行く旅に出る。しかし、その車はギャングの車でトランクの中には100万マルクが入っていた。そうとは知らない二人は強盗を繰り返し、結局警察とギャングの両方に追われることに。
ふたりの命は海を見る前に燃え尽きてしまうのか・・・ |
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最近、威勢がいいのは
『バンディッツ』『ラン・ローラ・ラン』などの
ポスト・ニュー・ジャーマン・シネマと言われるドイツ映画ですが、この作品もそのひとつ。監督は新人のトーマス・ヤーンですが、「男のロマンと友情」をとてもカッコ良く描き出すホットなロード・ムービーを作りました。
死ぬ前に一度海が見たいなんて、ありきたり。しかも男のロマンがテーマだなんて、見る前から筋書きが全て見えた気がしたものでした。
しかし、その「ありきたりさ」に最後は涙がポロポロ出てしまった私。
あと何日しか生きられないと言われたら、病院で安静にして一日でも長く生きることを鬱々と考えるでしょうか。それとも、もしもやり残したことがあるのなら、その僅かな間になんとかやり遂げてから死にたい、と思うのでしょうか。死を目の前に自分の人生を微塵も後悔しない人なんているのでしょうか。生と死の瀬戸際に立ったことが無くても想像がついていたはずの”ありきたり”が、改めてこの映画で深く胸につきささりました。
既に死ぬことが現実起こるものと受け止めきっているふたりに怖いものはなく、それがかえって刹那的で、痛々しいほど彼らの命が「今はまだ生きている」ことを実感。一方、彼らを必死になって追うギャングや警察はとってもコミカルで、アクション物としても充分見られますし、観る側としても重いテーマであるが故に、そういった喜劇的要素についすがりつきたくなります。特にギャングのコンビのダメっぷりがいい(笑)。ちなみに警察の皆々様方も同じく。マーティンとルディにとってはこの人々は敵にあたるはずですが、ちっとも憎めません。結局この映画は登場する全てが愛すべき人たちです。激しい銃撃シーンも、傷ついて倒れる人は全く映りません。ですが、アクションが激しくなればなるほどそれがかえって不自然で、わざと「彼ら以外の死」が排除されているのがわかって余計切なくなります。
手にした100万マルクだって、生きることができる束の間のあいだには使い切れないものなのです。
印象的だったのは、ホテルのスイートルームで二人がまくらを並べて楽しそうに「死ぬ前にしておきたいこと」をリストに挙げる姿でした。
「終わり」を知っている人は、最早漠然とした願望を持てません。「いつかこんなことをしたいな」とボーっと思っているわけにはいかないのです。そして
目的が決まった時、その他全ては自動的に削除されます。
それが刹那的に見えたわけですが、思えば彼らこそが明確なビジョンをもってひた走り、これぞ生きている!と言わんばかりでした。
人は必ず死ぬ運命ですが、「いつか死ぬために今生きている」わけではないのだなぁ、と思いました。
主題歌は期待を裏切らず、ボブ・ディランの名曲「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」。歌っているのはドイツのバンド、ゼーリッヒですが、つくづくいい曲です。泥臭くて切なくて。最後にこの曲を聴きながら思うことは、陳腐な日本語ですが、やっぱりこの映画のテーマは「男のロマンと友情」だということ。しかも極上の。
2004.5.07
文:ゴミ ナポ